第7章 自分の名前
正式にキーパーとなり、全くブランクを感じさせないプレイスタイルに驚きながらも、
平凡なサッカー部の日常が過ぎていきました。その頃、自分は初めて人生についてと進学先に迷うことになります。
まず人生について考えるきっかけとなったのは、自分はこの先どうなるのか?を考えたときでした。
当時、自分は体育の授業にのめり込んでいました。
とにかく運動することが大好きで、2つの選択の授業もどちらも体育を選択して、
1日に3回体育があるという日があるほどでした。
そこで、出逢ったある体育の非常勤講師の先生が自分の大きな一歩を押し出してくれました。
というのも、中学の先生には、あまり覚えられない平凡な背が高い細めの生徒のひと塊にされ、
その一派な中の生徒と良く間違えられる日々でした。
しかし、唯一その先生は、名前でしっかりと呼んでくれたのです。
そこで、初めて承認欲求が満たされたのをよく覚えています。
人間には色々な欲求がありますが、知識や経験を積むことによって、
その欲求の段階が上がって行く傾向があるのではないかと思っています。
その機会がきっかけとなり、「先生」という職種に興味を持ち始めました。
というのも、生徒の一人ひとりの名前をしっかり覚える、コミニュケーションを取れる先生に憧れたからです。
それからは、さらに教師になるためにはどうすべきかという観点で体育の授業に熱中していきました。
そして、どんなに苦手な種目でもクラス上位に入るように努め、
どんな種目も自分が教えられるようにとにかく上達すること意識し、その過程でのコツを掴んでいきました。
そんな時間が過ぎていくと、3年に上がる時期になります。
そんな時期になると、あの不良軍団に異変が起き始めます。内部での仲間割れのような事件が起きていました。
その原因も不良たちがやることがエスカレートして、学校でも問題になるレベルになっていました。
そんな中、帰宅部時代に遊んでいた友達がきっかけで向こうから仲直りをしたいと言ってきたのです。
自分は、廊下でも無視される扱いにストレスも感じていたので、仲直りすることにしました。
そこからまた他の仲間たちとも仲直りすることができ、昔の仲間たちと合流できました。
しかし、不良になってしまった友達は、昔の印象とは全く違い、別人になっていました。
それでも、また仲良くできることに本当に嬉しかったことを覚えています。
それから、3年になると幸運にも最初に仲直りをした友達と同じクラスになり、楽しい3年生の生活が始まりました。
しかし、サッカー部に誘ってきた友達の裏切りに会い、さらには受験もあるので、
サッカー部を夏の大会まで参加せずに早期引退をしました。それからは、受験に集中していました。
当然、教師という目標は見えていましたが、特に高校でやりたいこともなかったので、
サッカー部とバスケ部があり、共学、そして家から近い高校をいくつか選びました。
そこで、1番近い高校に高校のことを知るためにも、夏に体験入部としてハンドボール部に参加しました。
これと言って収穫はなかったんですが、実は母方の叔父さんも卒業している高校ということもあり、その高校に決めました。
また偶然に偶然が重なる小さな嬉しい出来事もありました。
それは、最後のチャンスで受けた漢検、英検、数検全て3級に合格し、夏の終わりに単願推薦で行けることになりました。
もう中学が終わるのか…次は高校かぁ~となんだか不思議な気持ちになっていました。
第8章 忘れてはいけない別れ
いきなり衝撃の走る題名ですが、忘れてはいけないことなので、こちらも書き留めます。
これはあの不良軍団についての話になります。
実は、その不良軍団には、そもそも自分が仲の良い友達が半分くらいいました。
先程も書いたように、途中内部での仲間割れが発生してました。
その時ぐらいから、その中のある1人の友達が学校に来ない時期がありました。
その1人とは、あの小学校時代に色んなもの作りやいたずらを教えてくれたあの友達です。
中学に上がってからは、同じクラスでもないし、部活も違ったので遊ぶ頻度も年に数回でした。
学校に来ていないのを知ったのもかなりあとで、聞いてからはとても気になっていたので、家に会いに行こうかとても迷っていました。
しかし、病気だという噂も流れてきており、どうも一般的な常識を気にしてしまい、一歩が踏み出せませんでした。
そんなもやもやする1ヶ月くらいが過ぎ、6時間目の授業が終わり、いつも通り担任の先生のホームルームが始まりました。
そこからの記憶は記憶力が良い自分でも、担任の先生から「大事なお話があります。着席して下さい。」という言葉の
次の言葉以降あまり覚えていません。
……….
3年◯組の〇〇君が、本日亡くなりました。
担任の先生は、話しながら我慢できず、涙がこぼれていました…
……….
……….
……….
気づけば、いつ間にか下校していました。
元は同じグループにいたあの仲直りした友達と下校していました。
2人とも何も会話することなく、無言が続きます。
………
いつもの別れ道に着くと、無言のまま別れていきました。
ただ上半身の左側あたりがぽっかり穴が空いた感覚だったことを今でも体の感覚として覚えています。
……….
お通夜の日。
違う中学に通う小学校のころに同じサッカーチームだった友人と共通の友人たちと会場へ自転車で向かいました。
到着すると慣れない雰囲気の中、お焼香に参列しました。
正直何がなんだか分からない時間が流れ、気づくとお焼香を終えて、外に出て、自転車に乗っていました。
一緒に参列した友達も同じような状況でした。
………
シャカシャカシャカシャカ。
………
自転車を漕ぐ音だけが鳴り響く。
時期にお焼香の時の記憶が少しずつフラッシュバックして、友達の家族や参列した色んな人の顔が頭の中に流れていきます。
そんな途切れ途切れの状況を思い出すと、ようやく現実に引き戻された感覚に陥りました。
………
それからは涙が止まりませんでした。
一緒にいた友人も無言のまま、自転車を漕ぎ続け、それぞれ家へと帰って行きました。
……….
尊い「死」を忘れてはいけない。
死を通して身にかかってきたものを忘れてはいけない。
もちろん、目に見えないものも。
そして、下ばかり向くのも体に触るから気をつけるべし。
自分は、どんな状況でも必死に生きる必要があることを15歳で知りました。
一生懸命、生きます。
……….
まとめ
第1章 絶対にしない!
トラウマは、良くも悪くも人生に影響
第2章 「二つの病」発症
どの選択をするかで人生はすぐに変わってしまう
第3章 胸ぐら掴まれる
真剣に怒ってくれる人間こそ、実は大事にすべき
第4章 悪い裏切り
マイナスな記憶ほど脳裏にこびりつく。
第5章 喪失感
本当に大事なものは失ってから気づく。
第6章 妙な裏切り
ノリと勢いで人生は一変する
第7章 自分の名前
心に響くもの、響いたものが割と大事だったりする
第8章 忘れてはいけない別れ
初めての身近な人の死は、多様な感情として残ると共に、「一生を粗末にするな」という言葉を肝に銘じました。
いかがだったでしょうか?
最後の章は、とても心苦しい内容でしたが、この事実もまた今もなお自分の人生にとっての教えとなっています。
本当に喜怒哀楽な経験を経た中学生活でした。
この経験が高校のあらゆる局面で響いてきます。次回の高校編をぜひ楽しみにして下さい。
このブログは、自分の人生のあらゆる経験が読者の方々の何かの役に立つことを心より願っています。
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